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課題
「武士の登場から鎌倉幕府の滅亡までについて、以下の五つの言葉を全て入れて、二四〇〇字程度で述べよ。
荘園・御家人・守護・地頭・御成敗式目」
(インターネット上の東洋大学シラバスより引用)
参考文献
家長三郎『新講日本史』三省堂、1967年
大山喬平『日本中世農村史の研究』岩波書店、 1978
村井康彦『平安貴族の世界』徳間書店、 1968年
山本幸司『頼朝の天下草創』講談社学術文庫、2009年
奈良時代、律令制に基づく統治により、国衙機構が戸籍を編纂し、朝廷の統治領域全体に対し強力な支配を行った。しかしながら、平安時代に地方での階層分化が進み、その中で成り上がった少数の富豪百姓が零細百姓層を支配下に収めていくようになった。十世紀には国衙機構の戸籍に基づく支配、又、政権の維持に必要な税の徴収を行うことは放棄され、派遣された受領が大きな権限を持ち、富豪百姓層を介した地方支配、徴税を行う王朝国家体制が確立したのである。この王朝国家体制の下で、国衙軍制を担う兵士として、武士は誕生した。十一世紀に荘園公領制が成立すると、荘園と公領の間に武力紛争が多発し、武士が荘園の管理者として任命され、地方を実行支配することとなった。
平安時代末期、平清盛は朝廷の内紛による保元の乱と平治の乱における武功で武家政治の基礎を築き、武士としては初めて太政大臣の地位に着いた。しかしながら、政権を得た清盛は天皇の外戚となり、政権は清盛の一族で朝廷の官位を占めるなど、それまでの摂関政治と変わらず、こうした専制政治に対し、貴族や他の武士の不満が高まった。一一八○年、後白河法皇の子、以仁王は源氏に対して、平氏追討...