自己決定権とは、憲法上明記されていない権利であるが、憲法13条を根拠として、新しい人権(自律的な個人が人格的に生存するために不可欠と考えられる基本的な権利)のひとつとして保護するに値する法的利益と考えられている。この場合、自己決定権として保護されるのは人格的生存に関わる私的事項といえることである。そして、人権一般の内在的制約として他者の権利や公共の利益との関わりの中で判断される。患者の治療を選択する権利もこの限りで認められるといえる。また、いかに真摯なものであっても単に厭世のために命を放棄するような自殺の選択は許されないと考えられている。これは人権の根本概念ともいえる生命の尊厳に反するので、自己決定の濫用(民法1条3項)となるであろう。
本件の場合、憲法20条でも保護されている宗教の信仰を守るということは、人格的生存に不可欠というべきである。たとえ死を伴うこととなっても、それは死を選択しているのではなく、信仰を貫くことを選択したのであるから、自己決定権として保護される。
また私人間効力の問題にもなるが、私人による人権の侵害は民法709条を適用して保護をはかればよい。
自己決定権――「エホバの証人」輸血拒否事件
事実の概要
「エホバの証人」の信者であって、宗教上の信念から、いかなる場合にも輸血を受けることは拒否するという固い意思を有していたXは、がんに疾患し平成四年八月、肝臓の腫瘍を摘出するため国立T病院に入院し、医者Yに手術を依頼した。Xとしては、エホバ信者に輸血をせずに手術を成功させた例の多いとの評判から、同病院を選択し、Yにもいかなる場合にも輸血を受けることができない旨(絶対的無輸血)の意思を伝え、さらに輸血をしなかったために生じた損傷に関して責任を一切問わない旨が記載された免責証書を手渡した。
しかし、T病院では、信者にはできる限り輸血をしないことにするが、輸血以外に救命手段がない事態に至ったときは、患者及びその家族の諾否にかかわらず輸血する(相対的無輸血)、という方針を採用していた。そこで同年九月の手術の際、Yは患部の腫瘍を摘出した段階で、輸血をしない限りXを救うことができない可能性が高いと判断して輸血をした。
そして手術後、Xに輸血の事実を明かさず、Xは週刊誌の取材によって事実を知った。
そこでXは、Yに対して、①絶対的無輸血の特約...