バルトは人間に対して与えられる神の愛を根拠にして「愛」を次のように定義している。「愛とは、排他的に神に対する愛のみではない。むしろ神に対する人間の愛でありつつ、神以外に、神と並んで、神とはまったく異なった別の対象を持っている」というのである。そしてその別の対象について、聖書の証言が示すものが何かというと、「一定の歴史的関連の中で彼に与えられた人間仲間である」という。つまり、ここでの「人間」とは神の愛に応えて、愛する対象は神のみではなく、彼と同じ“人間仲間”である。
そしてバルトは注意深く更に定義する。「人間そのものに対する愛、したがってすべての人間に対する愛、普遍的な人間愛というようなものについては、旧約聖書・新約聖書の一箇所においても語られていない。“普遍的な人間愛”というものが存在したとしても、それは観念であるか人間の心理的な志向としか考えられないものであり、神に対する愛も、人間に対する愛も「行為」という性格を持つのである。
それではバルトの語る“人間仲間”とは一体どのような対象であろうか。ここで語られる愛が人道的な道徳やヒューマニズム的な人類愛と厳しく区別されている。
「カール・バルトにおける愛」
バルトは人間に対して与えられる神の愛を根拠にして「愛」を次のように定義している。「愛とは、排他的に神に対する愛のみではない。むしろ神に対する人間の愛でありつつ、神以外に、神と並んで、神とはまったく異なった別の対象を持っている」というのである。そしてその別の対象について、聖書の証言が示すものが何かというと、「一定の歴史的関連の中で彼に与えられた人間仲間である」という。つまり、ここでの「人間」とは神の愛に応えて、愛する対象は神のみではなく、彼と同じ“人間仲間”である。
そしてバルトは注意深く更に定義する。「人間そのものに対する愛、したがってすべての人間に対する愛、普遍的な人間愛というようなものについては、旧約聖書・新約聖書の一箇所においても語られていない。“普遍的な人間愛”というものが存在したとしても、それは観念であるか人間の心理的な志向としか考えられないものであり、神に対する愛も、人間に対する愛も「行為」という性格を持つのである。
それではバルトの語る“人間仲間”とは一体どのような対象であろうか。ここで語られる愛が人道的な道徳やヒューマニズム的な人類愛と...