17章1―58節における「ダビデとゴリアトの戦い」はダビデ物語の中でも最も有名なものの一つであるが、伝承史的・文献学意的に問題を提出している箇所でもある。つまり、サムエル記下21章19節にはダビデの家臣エルハナンが「ガト人ゴリアト」を倒した記事が存在する。これは本来、ダビデの家臣の手柄であったものが、伝承の過程でダビデ自身を主人公とする英雄譚へと変化していったと考えられる。
一方、LXXにおけるこの物語は短く、1-11,32-40,42-48、51-54節のみであるが、それだけで一続きの筋を持った物語を構成している。それに対しLXXにないヘブライ語本文は、別の全体煮立つ、独立した物語の筋がある。それゆえこの「ダビデとゴリアトの戦い」の物語は異なる二つの伝承が一つに編集されたものであることがわかる。そしてこのことは、後の時代に至るまでテキストにそのような編集がなされたことを示唆するものである。
37節までのサウルとダビデの会話において、ダビデはヤハウェを信頼し、その身を委ねる大胆な信仰者として、そして神の摂理の道具として描かれている。しかし、ここでのサウルはダビデの真意を充分に理解していない。
旧約聖書釈義 サムエル記上 17章 38-40節
【釈義】
17章1―58節における「ダビデとゴリアトの戦い」はダビデ物語の中でも最も有名なものの一つであるが、伝承史的・文献学意的に問題を提出している箇所でもある。つまり、サムエル記下21章19節にはダビデの家臣エルハナンが「ガト人ゴリアト」を倒した記事が存在する。これは本来、ダビデの家臣の手柄であったものが、伝承の過程でダビデ自身を主人公とする英雄譚へと変化していったと考えられる。
一方、LXXにおけるこの物語は短く、1-11,32-40,42-48、51-54節のみであるが、それだけで一続きの筋を持った物語を構成している。それに対しLXXにないヘブライ語本文は、別の全体煮立つ、独立した物語の筋がある。それゆえこの「ダビデとゴリアトの戦い」の物語は異なる二つの伝承が一つに編集されたものであることがわかる。そしてこのことは、後の時代に至るまでテキストにそのような編集がなされたことを示唆するものである。
37節までのサウルとダビデの会話において、ダビデはヤハウェを信頼し、その身を委ねる大胆な信仰者として、そして神の摂理の道具として描かれて...