「日常言語におけるメタファーの優位性について -代替理論と相互関係理論を比較して-」

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    資料紹介

    日常言語において、メタファー(隠喩)を使う側面を論じています。
    特に、メタファーの代替理論と相互作用理論を中心に書いています。どちらかと言えば、言語哲学に近い内容かもしれません。

    資料の原本内容

    「日常言語におけるメタファーの優位性について
    -代替理論と相互関係理論を比較して-」
    Introduction
     日常的に使用する書き言葉や話し言葉では、何かを伝えたいことを効果的に伝えるために、比喩表現を用いることがしばしばある。比喩表現を使うことで、意味論上においても、通常使用されるべき言葉ではないものを使うことで、比喩でしか伝えることができない意味を伝えることができると思われる。
     このレポートでは、隠喩(メタファー)と直喩(シミレ)における表現とニュアンスの違いを考え、隠喩理論における代替理論と相互作用理論(付加理論の一つ)を比較し、日常言語におけるメタファーの使用がどのように読み手や聞き手といった相手に、より深い意味を含めてどのように心に訴えているのか、それをメタファーの優位性として考えてみたい。
    I. 直喩と隠喩における表現とニュアンスの違い
     比喩表現は、いくつか種類に分けることができる。ここでは、隠喩と直喩に分けてみたい。野内によると、直喩とは、「真っ直ぐな、直接的な喩え」を明示している表現法である 。このように直喩を使用した文の場合には、「のよう」「みたい」「まるで」「さながら」といった「喩え」を表す語句を使用し、二つの項を比較・対照している。例えば以下のような例文は、直喩を用いた文である。
    (a1) 彼は針金のように痩せている
    (b1) 彼女の肌は雪のように白い
     この二つの例文は、ともに置き換えることが可能である。
    (a2) 彼はすごく痩せている
       (b2) 彼女の肌はとても白い
     つまり、直喩とは「すごく」「とても」など、強調表現するときに、「針金のように」「雪のように」と言い換えて表現する方法である。
    また、隠喩とは、「類似性」に基づく「見立て」である 。つまり、「XをYとして見る」ことである。通常は、XとYは結びつくことができない異なる表現同士を用いる。この場合の「類似性」とは、「イメージ的に似ている=感性的類似性」や「構造的=概念的類似性」といった分類ができる。以下は、隠喩の例文である 。
      
    (a3) マリー・アントアネットはバラだ
    (b3) 彼女の肌は雪だ
     
    しかし、これらの例は以下の例のように置き換えが可能である。
    (a4) マリー・アントアネットは美しい
    (b4) 彼女の肌は白い
     これらの例のように、(a3)は(a4)、(b3)は(b4)というように、下線部を置き換えることができるが、暗示的に通常は使用されない表現を使用する比喩表現が隠喩(メタファー)である。メタファーを使うことで、「バラ=本当に美しい」であったり、「雪=輝きがあり、きめ細かい白さ」という意味やニュアンスも込めて表現していると思われる。
     このように、直喩と隠喩では、表現方法やニュアンスの異なる点がわかるだろう。
    II. ソスキースによるメファー理論
     メタファーがどのような働きをするのかを考えると、ソスキースは大きく3つの理論に分類している 。それらの理論は、代替理論、感情理論、そして付加理論である。
     代替理論とは、メファーは字義通りに語ることのできるものを別のもので言い換えた修飾的方法であると考えることである。
     感情理論とは、メタファーはそれが語ることではなく、それがもつ影響力の点で独創的だと考えることである。
     付加理論とは、メタファーは独自の認知手段で、われわれに別の言い方では語り得ないようなものについて語ることを可能にさせるもだとすることである。ここでは、相互作用理論について考えてみたい。
    II-1. 代替理論
     すでに述べたように、代替理論は、メタファーは字義通りに語ることのできるものを別のもので言い換える方法だと考える。ソスキースによると、代替理論とは、言葉の逸脱した意味という説明概念が潜んでいる 。メタファーは正しいものに置き換わった不当な言葉で、それは大概正しいものによっていつでも替えられる得るものだと見なされている。佐藤によれば、通常ならばXという語が使われるべきであるところに、Yという別の語が代入(ソスキースの表現では代替にあたると思われる)されている、と論じている 。この場合には、Yは本来の意味ではなく、Xの臨時の意味を示している。次の例文は、ソスキースが示したものである。
    (a) 彼は狡賢い
    (b) 彼は狐だ
     これは、「狡賢い」というXを「狐」というYに置き換えている。しかし、本来は「狡賢い」という表現よりは、それ以上に何らかの意味を含んでいるように考えることはできないだろうか。つまり、代替理論上で使用される「狐」という表現は、聞き手や読み手は、通常考える「狡賢い」という人よりも、「より狡賢い人」を示す言葉として理解できるのではないだろうか。
    II-2. 感情理論
    感情理論とは、メタファーの効果は感情的だと主張する。モンロー・ビアズリーの要約によれば、「鋭いナイフ」という句を使い説明している 。「鋭さ」を表しているため、この句は有意味である。しかし、「鋭い風」や「鋭い商人」には、「鋭さ」を試すことができない。このため、個々の言葉には意味があるが、この組み合わせは無意味である。この理論の定義は、言葉は与えられた状況への応用適切性が実証される方法がある場合のみ、つまり言葉が明確な指定をもつ場合のみ意味を持つという。
     また、感情理論は逸脱した使用法が純粋な認知内容を失ってしまうということが挙げられている 。その場合には、明記されない感情的内容を得ると言われているが、この余分な感情的内容の概念を理解するのは難しい。ビアズリーも、「感情的な意味合い」について説得力のある理論を作り上げることは、多いに大変なことだったという。
    II-3. 付加理論
    ソスキースによると、付加理論の基本的な立場とは、「メタファーによって語られたことは他のどの方法によっても適切に表現され得ず、メタファー各部分の組み合わせは新しい独特な意味の作用体を作りだすことができるとする考え方」 と論じている。
    付加理論には、いくつかの理論があるが、ここでは直感理論について説明をする。その理論とは、「メタファーは徹底した変形をもたらす、つまり言葉の標準的な意味の破壊を伴い、メタファーの独自な意義は、この字義通りの意味の破壊に続く直感的行為の産物である」という。これは、語を置き換えてはメタファーが成り立たないということから、感情理論と似ている。しかし、大きな違いとしては以下のことである。解釈する上では、感情理論は感情的な意味をもたらし解釈するのに対して、直感理論では説明できない直感の作用をを通して、新しいが充分に認知的な意味になる、という部分で異なる。
    また、相互作用理論などについては、後の章で述べたい。
     以上この章では、大まかなメタファー理論の枠組みをソスキースによる分類からまとめてみた。
    III. メタファーの理論における哲学的な研究
     メタファーを哲学的な視点で分析する理論が、ブラックの「相互作用」理論である。これは、付加理論の一つして分類することができる。ブラックは、メタファーの「論理的文法」として4つのことを示した 。それは以下のことである。
     (1)「われわれはどのようにメタファーを認識するのか」
     (2)「メタファーは字義通りの表現に翻訳可能なのか」
     (3)「メタファーと直喩との関係は何か」
     (4)「もしメタファーが創造的ならば、どのような意味で『創造的』であるのか」
    以上のようなことをブラックは問い立てた。A. I. リチャーズの「メタファーの原理」の簡潔な説明として、「メタファーにおいては、異なる事物に関する二つの概念が相互に活動し、かつそれは一語または一句によって表現される。そして、その語や句の意味は二つの概念の相互作用の結果である 」と述べている。ここで述べている二つの概念とは、主要主語と副主語のことであろう。
    例として、ブラックは「貧乏人は、ヨーロッパの黒人だ 」と示した。つまり、相互作用によって新たな意味をもつということである。このときに、「ヨーロッパの貧乏人」と「アメリカの黒人」という観念が、ある与えられたコンテクストのなかで、焦点となる「黒人」が、字義通りに使う場合の意味や、字義通りのどのような置き換えができないというような新たな意味になるだろう、とブラックは論じている。すなわち、メタファーが相互作用を持つということを考える上では、ブラックが論ずる「メタファーとして使われた語は、残りの言葉によって作られる字義通りの『枠組み』のなかにメタファーの『焦点』を形成して、そこで作られる新しい文脈の故に、焦点の語は新しい意味を獲得すると論じた」とある 。それ加えて、ブラックは「メタファーの理解は、すでに存在していたのに気づかれなかった意味や類似関係の側面を単に強調するのではい。それは類似性を創造するのである」という 。
    また、「貧乏人は、ヨーロッパの黒人みたいだ」という文では、直喩を使って表わされてはいるが、本当に主張したいことが通じないのではないだろうか。
    つまり、字義通りの置き換えができないことがあり、直喩では表現が難しいことがある。だからこそ、メタファーを使用した表現を用いれば、普通に言葉を強調すること以上の意味を持つということだろう。まさに、メタファーの優位性である。
    IV. 代替理論と相互作用理論の比較
     II-2とIIIにおいて、代替理論と相互作用理論について述べてきた。代替理論とは、メタファーは字義通りに語ることのできるものを別のもので言い換える方法である。それに対して、相互作用理論とは、メタファーでは、主要主語...

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