日本は1990年代を通じて、世界最大のODA供与国としての地位を維持してきた。日本のODAの規模は1973年に英国、1983年にドイツ、1984年にフランス、1989年には米国を抜いた。以降日本は、1990年を除いて2000年までの間、世界最大の援助供与国であり続けた。日本が国際社会において「名誉ある地位を占める」ために行いうる貢献がすなわちODAの拡充であった。1980年代に入ると欧州を中心にODAが伸び悩み、ドナー(支援国・機関)コミュニティーにおいて「援助疲れ」が深刻化した。先進国から開発途上国への資金の流入が細り、元利支払い額が受取額を上回るという逆転が起き、危機意識が強まった。日本のODAはこの問題の緩和に大きな役割を演じた。日本はODAの量的拡大だけでなく、国際社会が共有する目標形式においても重要な役割を担った。現在、世界が達成を目指しているミレニアム目標の原型は、実は日本が中心となって1996年のDAC会合で取りまとめたものである。日本のODA拡大の背後には高度経済成長があった。貿易黒字は1980年代に入り急拡大し「黒字還流」としてのODAが展開された。ODAを国際的な公共財と捉える認識が、日本国内にも広まっていった。ODAをどのくらい供与するのかは、最終的には各国の国民が判断する問題である。所得レベルを考慮すると、日本人のODAに対する寛容さはドナーコミュニティーの中では中程度というところだと思われる。
日本の従来のODAの特徴として、?「高い借款比率」つまり、ODA全体に占める借款の比率が高いことで、これは日本だけの特徴である。また、日本の借款のGEはDAC平均よりも高く、低金利かつ返済・据置期間が長いことも特徴として挙げられる。?「インフラ重視」DACでは7つの分野にODAを分類している。
テーマ:日本そして東アジアのODA形態
日本は1990年代を通じて、世界最大のODA供与国としての地位を維持してきた。日本のODAの規模は1973年に英国、1983年にドイツ、1984年にフランス、1989年には米国を抜いた。以降日本は、1990年を除いて2000年までの間、世界最大の援助供与国であり続けた。日本が国際社会において「名誉ある地位を占める」ために行いうる貢献がすなわちODAの拡充であった。1980年代に入ると欧州を中心にODAが伸び悩み、ドナー(支援国・機関)コミュニティーにおいて「援助疲れ」が深刻化した。先進国から開発途上国への資金の流入が細り、元利支払い額が受取額を上回るという逆転が起き、危機意識が強まった。日本のODAはこの問題の緩和に大きな役割を演じた。日本はODAの量的拡大だけでなく、国際社会が共有する目標形式においても重要な役割を担った。現在、世界が達成を目指しているミレニアム目標の原型は、実は日本が中心となって1996年のDAC会合で取りまとめたものである。日本のODA拡大の背後には高度経済成長があった。貿易黒字は1980年代に入り急拡大し「黒字還流」...