日本評論社から出版された「永山則夫 聞こえなかった言葉」を読み、永山則夫という人物に対する考察をしています。
永山則夫の人生は常に時代の波に翻弄されていたと言っても過言ではない。それは、出生当時から死刑執行時まで変わらなかった。
永山を翻弄した出来事として、まず太平洋戦争が挙げられる。何故、1949年生まれの永山則夫が1945年に終わった太平洋戦争で人生を翻弄されたと言えるのか。これは、戦争が長山の父親が賭博に狂う遠因となったからである。(1998年8月に放送されたドラマ「土曜ワイド劇場 死刑囚永山則夫の母~戦後最大の少年犯罪・その時、連続射殺魔の母と呼ばれた女は…」では、長山の父親は入隊を機に賭博に狂うようになったとされている。)父親は、入隊するまでは林檎剪定職人として平穏な生活を送っていたようである。実際、『聞こえなかった言葉』では次のような記述が見られる。「永山は予想外の話を長兄から聞いた。亡くなった父は「林檎の検査員でな。……黒石市の農業試験場に勤めていて、そこから網走へ人を教えに行ったんだ。優秀な検査官だったんだョ」残念ながら、父親の職業内容、及び検査官としての腕前を知る術はないが、長兄の話が全面的に事実であるとするならば、入隊さえなければ、あるいは入隊しても賭博さえ覚えなければ平穏...