『最新版』 佛教大学通信教育課程の合格済みレポートです。
●図書館で資料を集めてから作成。参考文献も記載しています
●文章構成やレイアウトにも気を配りました。
●設題の意図を正確に捉え簡潔にまとめています。ぜひ参考にしてください。
第一設題 「霊山の釈迦のみまへにちぎりてし真如くちせずあひ見つるかな(行基)」「かびらゑにともにちぎりしかひありて文殊のみかほあひ見つるかな(婆羅門)」の贈答歌を解釈せよ。
贈答歌を解釈するにあたり、まず行基と婆羅門の人物像に迫りたい。
『行基は、奈良時代の僧である。天智天皇七年(六六八)河内国大鳥郡に生まれ、十五歳で出家、道昭を師とし法相宗に帰依。二十四歳で受戒。初め法興寺に住し、のち薬師寺に移る。三七歳の時、山を出て民間布教を始めたといわれ、七一〇(和銅三)年の平城遷都の頃には、過酷な労働から役民たちの逃亡・流浪が頻発し、これら逃亡民の多くが行基のもとに集まり私度僧になった。七一七(霊亀三)年、朝廷より「小僧行基」と名指しでその布教活動を禁圧される。しかし、弾圧にもかかわらず行基集団は拡大を続け、七二二(養老六)年には平城京右京三条に菅原寺を建て、信者を広げていった。行基の影響力を無視し得なくなった朝廷は、七三一(天平三)年、高齢の優婆塞・優婆夷の得度を許し、七四〇(天平十二)年頃までには行基を薬師寺の師位僧(上級官僧)として認める方針をとった。同年の恭仁京遷都を境に、社会的信望...