【日大通信】歴史学 分冊2【A判定合格レポート】

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    資料紹介

    日大通信、歴史学 分冊2のA判定合格レポートです。レポートを書く際の参考・資料等にお使い下さい。

    <問題>
    通信教育教材『歴史学(第四部〜第八部)』から時代及び地域が共通する2〜3名の人物を選び、彼らの生きたところの時代概観及び地域のあり方を論述しなさい。

    <本文>
    「ケマル・アタテュルク、サイード・ヌルスィー、ベイ/トルコ/近代史」
     第一次世界大戦の敗戦国となったオスマン帝国は、シリア・イラクなどのアラブ地域をイギリス軍によって占領された。それにより、残された国土はアナトリアとトラキアだけ
    となった。そして、1918年11月には..

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    「ケマル・アタテュルク、サイード・ヌルスィー、ベイ/トルコ/近代史」

    第一次世界大戦の敗戦国となったオスマン帝国は、シリア・イラクなどのアラブ地域をイギリス軍によって占領された。それにより、残された国土はアナトリアとトラキアだけとなった。そして、1918年11月にはイギリス・フランス・イタリア・アメリカの連合軍が上陸しアナトリア南部を占領したのである。さらに、1919年5月にはギリシア軍がイズミルを占領して宮廷国内のギリシア人・アルメニア人・クルド人らは独立国家樹立の動きを見せた。オスマン帝国は、この時、解体の危機に直面したのである。

    この連合軍に対しての妥協的態度をとるイスタンブールのスルタン政府に不満を持った軍司令部のムスタファ・ケマル・アタテュルク(1881˜1938年)は、北西アナトリアのシウ゛ァスで開かれた諸州の代表者会議において議長としてトルコ民族の主権・領土保全・国家議会の召集を決議し祖国解放運動の口火を切ったのである。さらに、1920年4月にはアンカラに大国民議会を招集したのである。

    各地でイギリスやフランスなどの列強に支援されたイスタンブールの政府と連合軍との間...

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