国際法形成の基盤は、中世ヨーロッパにおけるローマ教皇と神聖ローマ帝国とを頂点とした理念の上での普遍的秩序と、現実における封建的割拠とを止場とした、領域主権国家の成立によって与えられた。
経済発展に伴い、国境を越えたこのような人間、商品及び資本の移動を可能とするためには、最大限の秩序、予測可能性及び安定性が要求され、この目的のためにすべての国が通常は従うような、公的な規範、つまり国際法が必要とされた。これが伝統的国際法である。
伝統的国際法の生誕を示すのは、ヨーロッパにおける近代国家系の形成をもたらした1648年のウエストファリア条約である。
伝統的国際法は法と行政の制度を備えたヨーロッパ型の先進国、つまり当時のいわゆる文明国だけを一人前の国際法の主体として認め、従ってしばしば「ヨーロッパ公法」と呼ばれていた。
当時の先進国は、原料や市場を求める闘争において、また、不均等発展による力関係の変化に応じた植民地や勢力圏の再分割のために、戦争を不可決の条件としていた。従って、戦争に訴える事は、主権のもっとも重要な条件とみなされ、伝統的国際法はこれを規制する事はできずに、発生した戦争における国の行為を規制するという限られた役割に甘んじなければならなかった。その結果として、伝統的国際法は、平時法と戦時法からなる二元的構造を有していた。また、伝統的国際法では、戦争に訴える事が規制されていなかっただけでなく、平時法においても勢力均衡の維持や在外自国民の保護、人道的干渉を理由とする武力行使がしばしば合法的と主張された。こうして伝統的国際法は、一握りの先進国による多くの中小国や広大な非ヨーロッパ世界に対する、力による支配の法だったと言わねばならない。
国際法形成の基盤は、中世ヨーロッパにおけるローマ教皇と神聖ローマ帝国とを頂点とした理念の上での普遍的秩序と、現実における封建的割拠とを止場とした、領域主権国家の成立によって与えられた。
経済発展に伴い、国境を越えたこのような人間、商品及び資本の移動を可能とするためには、最大限の秩序、予測可能性及び安定性が要求され、この目的のためにすべての国が通常は従うような、公的な規範、つまり国際法が必要とされた。これが伝統的国際法である。
伝統的国際法の生誕を示すのは、ヨーロッパにおける近代国家系の形成をもたらした1648年のウエストファリア条約である。
伝統的国際法は法と行政の制度を備えたヨーロッパ型の先進国、つまり当時のいわゆる文明国だけを一人前の国際法の主体として認め、従ってしばしば「ヨーロッパ公法」と呼ばれていた。
当時の先進国は、原料や市場を求める闘争において、また、不均等発展による力関係の変化に応じた植民地や勢力圏の再分割のために、戦争を不可決の条件としていた。従って、戦争に訴える事は、主権のもっとも重要な条件とみなされ、伝統的国際法はこれを規制する事はできずに、発生した戦争にお...