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平安時代後期仏教の特質を論ぜよ
天慶・承平の乱を契機とする荘園体制の地方からの漸次的崩壊過程に入っていた。北九州には北方の刀伊が来襲し、都でもたびたびの疫病の流行や治安の乱れで決して平穏ではなかった。僧兵の横行は特に目がつく。こういった時代の中でひじりの運動がはじまり、他方では、末法思想が切迫した危機意識を民衆のレベルまでかき立て、人々を一挙に浄土信仰へと走らせた。仏教にはいつの頃からか一種の悲劇的な運命論が起こった。釈迦の遺法は永遠の真理の現れとしながらも、その法の存続は有限であり、教行ともに仏法が純粋の姿をたもつ「正法」の時代、教のみ伝わって行や証の衰えてゆく「像法」の時代を経て、世は「末法」となる。末法は永承7年(1052)とされていた。末法時代は一万年続くが、末法には天災地変、戦乱疫疾が続発し、人々は悪見煩悩が盛んで闘争を事とし、僧侶も破戒無慚、真の修行者はなくなり、やがて悪主の破仏、悪魔の跳梁によって法滅の時を迎えるとする。この思想は奈良時代末ごろから僧侶の間に注目をひいていた。日本ではやく末法を表明したのは景戒の『日本霊異記』である。そして、末法思想の一種の予言書として、後...