2 日本における近代以降の社会福祉の歴史(恤救規則から救護法まで)について述べよ。

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     1868(明治元)年、明治新政府は、五 の掲示定第一札をもって「 寡孤独廃疾の者を憫むべきこと」と令し、相互扶助精神を発揮するよう国民に求めた。
     しかし、近代国家としての様相を整えるためには、全国的視野の窮民救済策が必要となり、1874年、日本最初の公的扶助法令である恤救規則が制定された。この規則は親族や地域社会による相互扶助が期待できない場合、国家が窮民を救済するというものであり、1929年に救護法が成立するまで、公的扶助に関する唯一の国家法だった。
     1883年現在で、国民の六割は下等(年間一人あたり米二石分の生活水準)の生活状態にあり、本格的救貧策が必要とされ、1890年、第一回帝国議会に窮民救助法案が提出された。本法案は災厄のため自活不能となった労働能力のある窮民をも対象とし、市町村の救助義務を認めたものだった。しかし、貧民に救助を受ける権利を与えることになるのではないか、濫救や救助義務容認の恐れはないかなどが争点となり廃案となった。
     一方、一般窮民救済策の改正が失敗したのを補うかのごとく、民間では、明治20年前後には貧窮自動を対象とする石井十次設立の岡山孤児院、留岡幸助...

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