“終わりよければすべて好し”
もしそうならば、わたしたち人間は今までとんでもない勘違いをして生きてきたことになります。
“終わりわるくても、途中がよければ好し”
もしそうならば、わたしたち人間は勘違いせずに生きてきたことになります。
さあ、みなさんは、どちらに軍配を上げられるでしょうか?
“終わり”は“死”と置き換えてもいいでしょう。
“死”とは、この先はもうないという状態です。
言い換えれば、
“死”とは、未来(明日)はもうないという状態です。
“途中”は“生”と置き換えてもいいでしょう。
“生”とはこの前もこの先もまだあるという状態です。
言い換えれば、
“生”とは過去(昨日)も未来(明日)もまだあるという状態です。
そうしますと、
“終わりよければすべて好し”は“死がよければすべて好し”となります。
“終わりわるくても、途中がよければ好し”は“死がわるくても、生がよければ好し”となります。
殆どの人たちが、“死がわるくても、生がよければ好し”の考え方で生きておられると思います。
そうでないと、人生において、“金持ちになりたい!”とか、“立身出世したい!”とか、“健康な人生を送りたい!”とか、“幸せになりたい!”などと思わないはずです。
こういった願望はすべて、“生がよければ好し”の発想から生れているのですから。
革命的発想 Part 1
著:新田 論
はじめに
“終わりよければすべて好し”
もしそうならば、わたしたち人間は今までとんでもない勘違いをして生きてきたことになります。
“終わりわるくても、途中がよければ好し”
もしそうならば、わたしたち人間は勘違いせずに生きてきたことになります。
さあ、みなさんは、どちらに軍配を上げられるでしょうか?
“終わり”は“死”と置き換えてもいいでしょう。
“死”とは、この先はもうないという状態です。
言い換えれば、
“死”とは、未来(明日)はもうないという状態です。
“途中”は“生”と置き換えてもいいでしょう。
“生”とはこの前もこの先もまだあるという状態です。
言い換えれば、
“生”とは過去(昨日)も未来(明日)もまだあるという状態です。
そうしますと、
“終わりよければすべて好し”は“死がよければすべて好し”となります。
“終わりわるくても、途中がよければ好し”は“死がわるくても、生がよければ好し”となります。
殆どの人たちが、“死がわるくても、生がよければ好し”の考え方で生きておられると思います。
そうでないと、人生において、“金持ちになりたい!”と...