比較するにあたって、画面構成・人物描写、ストーリー、教訓、の3つの要素に注目した。
1.画面構成・人物描写
最も特徴的であったのは、『乱』である。見始めると同時に、なんて見にくい映画なのだろうと思っていたのだが、それは最初から最後まで役者の顔が一度もアップにならないからであった。どんな表情をして演技しているのか、目を凝らして見ないとわからないのだ(黒澤監督の映画は皆そうなのであろうか。恥ずかしながら彼の他の作品を見たことがないためわからない。今後調べたいと思う)。カメラは常にひいた状態で、背景を非常に重視して撮影していることがわかる。その壮大な背景の中で、役者が画面いっぱいに演技する。自然と身振りが大きくなり、声も張り上げなければならないため、まるで舞台を鑑賞しているようだった。しかし、そこにはやはり映画だからこそできる演出がある。例えば、秀虎が息子次郎から追い出されて城から出て行く場面では、巨大な門とその門が閉まる大音響によって、英虎の孤独感と次郎の排除の気持ちを表現した。こうした表現はカメラワークを自在にできる、映画だけの特性であると思う。
広大な背景を映しているのは『シークレット/嵐の夜に』にも言えることである。果てしなく広がる「大農場」を長女のジニーが見つめる場面は、『風と共に去りぬ』を髣髴とさせ、非常に印象的だった。だが、この作品では、『乱』とは違って役者の演技は大きくない。顔の表情や、セリフの言う声色に、微妙な心理描写がなされている。その違いは、特にリア王自身の演技にあらわれている。『乱』では、原作のリア王とほぼ同じく、裏切られた英虎は狂気におちいり荒野をさまよう。しかし、『シークレット/嵐の夜に』では、次第に心境が変化していく父の様子を、沈黙のうちに表現している。
英文学レポート
作品 『リア王』
鑑賞作品『乱』
『シークレット/嵐の夜に』
『ゴッドファーザーⅢ』
比較するにあたって、画面構成・人物描写、ストーリー、教訓、の3つの要素に注目した。
1.画面構成・人物描写
最も特徴的であったのは、『乱』である。見始めると同時に、なんて見にくい映画なのだろうと思っていたのだが、それは最初から最後まで役者の顔が一度もアップにならないからであった。どんな表情をして演技しているのか、目を凝らして見ないとわからないのだ(黒澤監督の映画は皆そうなのであろうか。恥ずかしながら彼の他の作品を見たことがないためわからない。今後調べたいと思う)。カメラは常にひいた状態で、背景を非常に重視して撮影していることがわかる。その壮大な背景の中で、役者が画面いっぱいに演技する。自然と身振りが大きくなり、声も張り上げなければならないため、まるで舞台を鑑賞しているようだった。しかし、そこにはやはり映画だからこそできる演出がある。例えば、秀虎が息子次郎から追い出されて城から出て行く場面では、巨大な門とその門が閉まる大音響によって、英虎の孤独感と次郎の排除の気持ちを表現した。こうした表...