「水俣病の解決が長期に渡った原因」
技術的原因
最初に病院に水俣病患者が運び込まれた際、今だかつて誰も見たことのない症状でした。その後、当時の医師が様々な実験を行いましたがその原因が明らかになるまでかなりの時間が費やされました。しかも、水俣病の存在とその原因は、世間で一度はほとんど忘れられていたのが,同じ病気が再度発生してはじめて実質的な対策がとられたのです。もし再発がなかったら、その原因すらも究明されなかったかも知れません。
現在の医療技術でも水俣秒を完全に治す薬はなく、痛みを和らげたり、リファビリを受けたりする程度のことしかできません。
社会的要因
水俣病は、水俣市で化学工業を営んでいたチッソが、同社水俣工場でメチル水銀を含む排水を水俣湾に流したことから始まりました。
患者が現れだした昭和30年代前半当時は、高度経済成長期の真っただ中であったので、企業は環境保護や被害者への対応よりも、生産の拡大や技術発展を選びました。それどころかチッソは、水俣病の原因が自社の排水によるかもしれないという事実を隠ぺいしたのです。チッソは日本で最も高度に急成長をとげた企業の心臓部に当たる工場で...